Tuesday, January 1, 2008

クリスマス

トラファルガー広場には毎年ノルウェーのオスロ市から送られるクリスマスツリーが立っています。飾りつけもノルウェー風らしく、地味ですね。

こちらはコベントガーデンのクリスマス・ツリー。ヨーロッパのクリスマス・ツリーは、モミの木(Abies Firma)ではなく、ドイツトウヒ(Picea Abies)が主流なのだそうです。

ヴィクトリア女王の旦那様であるアルバート殿下が、英国に初めてクリスマスツリーを飾るというドイツの習慣を伝えたのだそうです。


日 本でクリスマス・ケーキというと、生クリームを使ったデコレーション・ケーキを想像すると思いますが、英国人がクリスマスに食べるのはクリスマス・プディ ング(Christmas Pudding)です。くるみ、ドライフルーツに香辛料やブランデー・ラム酒などを混ぜ合わせ蒸したケーキです。


英国ではサンタクロースのことをファーザー・クリスマス(Father Christmas)と呼びます。

サンタクロースのモデルは、西暦4紀頃、トルコに住んでいたニコラス司教です。彼は貧乏で娘を嫁がせることができない人の家を訪れて、夜に屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れたのだそうです。

暖炉には靴下が下がっていて金貨は靴下の中に入ったことから、靴下の中にプレゼントを入れる習慣が始まったのだそうです。

同じキリスト教でも、ロシア正教やギリシア正教では、12月6日の聖ニコラスの日にプレゼントをもらい、25日には何ももらえないそうですよ。


ク リスマス・シーズンになると、あちこちでよく見かける「キリスト生誕」の絵。正確には降誕(the nativity)と言うらしいです。ヘロデ王の時代、人口調査のために、ヨセフは身重の許婚のマリアと共にナザレの町から故郷のベツレヘムに帰ります。 その時マリアが産気付き、家が混んでいたため、家畜小屋でイエスを生み、飼い葉桶にイエスを寝かせました。このシーンには、牛・ロバ・羊が登場します。生 まれた場所は、馬小屋ではなく、牛小屋だったみたいです。ロバはマリアが乗ってきたもので、羊は羊飼いが連れてきたものでしょう。

ナ ショナル・ギャラリーにあるボッチチェリの「神秘の生誕」。天使が羊飼いに救世主が生まれたことを伝えたので、彼らも生まれたばかりのイエスを訪ねてきま す。また、当方の三博士が、星に導かれてイエスを礼拝しに訪れ、黄金・乳香・没薬を渡します。・・・というお話を頭に入れて、宗教画を見ましょう。


クリスマス・シーズンになると、ホーリー・ツリー(Holly Tree)で作られたデコレーションをよく見かけます。刺のある葉はキリストが十字架にかけられる前に頭に被らされた荊の冠を表し、赤い実はキリストが流す血を表しているのだそうです。


日本名はセイヨウヒイラギ。和名の「柊」の名の由来は葉の棘に触るとヒリヒリ痛むことからつけられたそうです。学名はIlex aquifolium。

シシリー・メアリ・ベーカーによる「The Holly Fairy」。

英国ではクリスマスは静かに家族で祝います。遠くに住む家族が集まったり、贈り物をしたり、食事をしたりして過ごします。クリスマスは、キリスト(Christ)のミサ(mass)を意味します。イエス・キリストの誕生日と、収穫に感謝し太陽の復活を祈る冬至祭りと結びあわせて行われるようになったといわれています サンタクロースのモデルは4世紀のトルコ人聖ニコラス司教で、彼は生涯を不幸な人々の救済に捧げたと言われています。サンタの言い伝えには靴下が登場しますが、これは貧しい家の暖炉に干されていた靴下にこっそり金貨の袋を投げ入れたという聖ニコラスの善行が元になっているそうです。サンタの服を赤くしたのはコカコーラだと言われています。1930年コカコーラは、ふくよかでやさしげな赤い服を着て白いひげを持ったサンタのイラストを広告に使用し、全世界に進出しました。サンタの移動手段として登場するトナカイは、1882年にアメリカの神学者クレメント・クラーク・ムーアが書いた詩「真っ赤なお鼻のトナカイさんがー」が元になっています。赤鼻のトナカイのルドルフの詩が登場する前は、サンタの移動手段は徒歩か馬だったそうです

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